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インタビュー デレク・ジャーマンとの別れ 写真家・奥宮誠次さん

HIVに罹ったことをきっかけにダンジネス原発の近くでガーデニングをはじめた、イギリスの映画監督デレク・ジャーマン(1942-1994)。その姿を写真家・奥宮誠次さんが追った4年間。当時の写真が四半生記の時を経て、小さな写真詩集になりました。
ゲイであることを公表し、HIVに罹ったことを伏せることなくカメラの前に立ち、捨てられた漁村に建つ原発の前で、「完成することのない最後の作品」をつくろうとしたデレク。すーべにあ文庫05『原発ガーデン 映画監督デレク・ジャーマンの最晩年』著者の奥宮さんに話を聞きました。


インタビュー デレク・ジャーマンとの別れ 写真家・奥宮誠次さん



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デレク・ジャーマンのどこに奥宮さんは惹かれたのでしょうか?
奥宮
はじめてデレクを知ったのは「カラバッジオ」という映画を観たときです。知人に同行して会えることになって、彼の闘い方に惹かれたんですね。
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闘い方?
奥宮
ある特定のものを攻撃するわけではなく、もっと大きなもの、何て言うのかな…目に見えないものと闘っている静かな姿…。彼の作品や生き方自体が、差別だったり原発と闘うことにつながると言うか。
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モノクロームの写真から、そんな雰囲気が伝わってきます。
奥宮
武器を持たない闘い、これは私の推測だけど、おそらくそういうものだったと思います。私の写真の師匠は与田弘志という人なのですが、彼に『OBSESSION』という写真集があります。海岸で拾った、海岸に流れてきた漂流物を写真に収めた作品集ですが、デレクがつくったダンジネスのガーデンともどこか共通するものがあるんですね。OBSESSIONNというのは「とりつかれる」という意味ですが、私にとって、この「OBSESSION」というのは悪い語感ではありません。何かに一心不乱に取り組んでいる様子のイメージです。
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師匠も、デレクも、とりつかれるように作品づくりをしていた?
奥宮
決して悪い意味ではなくて、そう思います。情熱を作品にぶつけるんですね。差別する人も、される人も攻撃的だったりするのに、彼は違った。原発なんて、廃炉まで100年などといわれるのだから、そもそも闘いようがないのですが。
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現代でそういった類いの闘いは、どんどん攻撃的に、過激化している気もします。
奥宮
今回の本には文章をつけましたが、私は写真家ですから写真以上に伝えることはできません。いまの時代に、デレクの姿から何かを感じてもらえれば…撮影を許可してくれたデレクに、少しは恩返しできるのではないかと思っています。

死後、イギリスの芸術劇場で催されたデレク・ジャーマン回顧展に出展するはずが、訳あって奥宮さんの撮影した写真の多くは、紛失の憂き目に遭いました。残されたわずかな写真で編まれた今回の小さな本は、長らく奥宮さんの中で残っていた「宿題」を果たすことになるのかもしれません。「肩の荷が下りたような―これでようやく、彼と本当のお別れができるような気がする」と、本書のあとがきは結ばれています。

Derek Jarman(デレク・ジャーマン)

1942年生まれのイギリスの映画監督。舞台デザイナー、作家としての顔も持ち、特に日本では園芸家として有名。「イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・サン」(1974年)で映画監督デビュー。生前よリゲイであることを公表し、1985年にHIVへの感染が判明。 1994年、死去。主な映画監督作品に「カラヴァッジオ」「ガーデン」「ウィトゲンシュタイン」、遺作となった「ブルー」がある。

奥宮誠次(おくみや・せいじ)

高知県生まれ。写真家。 1986年に渡英し、ロンドンを拠点に主にヨーロッパで活動。 2012年、再び東京に活動の拠点を移す。「Anchovy Studio」設立。主な著書に『世界の動物園』『風が笑えば』(俵万智との共著)などがある。

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