第12回対談 第10回対談 第9回対談 第8回対談 第7回対談 第6回対談 第5回対談 第4回対談 第3回対談 第2回対談 第1回対談




インタビュー 遺跡スケッチを画集にまとめた、考古学者・大塚初重先生

これまで描きためたスケッチブックは実に33冊。考古学者・大塚初重先生がこれまで遺跡の発掘現場で描いてきた600点あまりのスケッチ画の中から、娘さんや教え子さんたちと一緒に作品を厳選して編まれた、『考古学者・大塚初重スケッチ画集』。大塚先生と長女の小笠原さんにお話をうかがいました。
(大塚初重先生は2022年7月に逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。)

大塚先生と小笠原さん
大塚初重(おおつか・はつしげ)先生

1926年生まれ。明治大学名誉教授。日本考古学協会元会長。2019年には明治大学博物館で個展「素晴らしき古墳との出会い―大塚初重スケッチ絵画展」を開催した。

小笠原文惠(おがさわら・ふみえ) さん

大塚先生のご長女。幼い頃から夏になると発掘のため長期間家を不在にする父を、自然と考古学者と認識するようになったそう。大塚先生と同じ明治大学卒、商学部で経済史を専攻した。

描くこと

―――
今回、スケッチをまとめようと思ったきっかけから教えてください。
小笠原
春に父が体調を崩しまして、これを乗り越えたときに「考古学者としてのスケッチ集をまとめたい」と言われたように記憶しています。
大塚
明治大正の頃には何人かの有名な先生がスケッチしていたということがあるにはあるんです。それが昭和になってカメラが普及してくると現場でスケッチをする人は…まったくいないわけではないだろうけれども、非常に少ない。明治大学の大塚と言えば、現場でスケッチしているっていうので有名なんですよ(笑)。決して上手ではないのですが、やはりカメラとは違って…カメラは必ず写っているという安心もあるんですけど、スケッチは逆に緊張感があります。
スケッチ1
スケッチ2

観察すること

大塚
考古学協会に所属している人は全国で4千人ほどいるのですが、スケッチをしている人はほとんどいないんです。僕はその場で3分から5分をかけて描く。ちょっと珍しいとも言えるこれまでのスケッチをまとめておきたいと思ったんですね。
―――
よく観察しなくては描けません。
大塚
構図を決めて、背景となる葉っぱの一枚一枚まで観察しなくちゃ絵にならない。これがいいんです。
小笠原
スケッチの後は当日、ホテルに戻ってスケッチに彩色するといいますから復習にもなるそうです。
―――
遺跡をじっくりと観察する、学ぶという点からも理にかなっています。
小笠原
たとえばこの桜井茶臼山古墳 ※1 などは、このスケッチを描いた発掘当時は内部を見ることができましたが、もう埋め戻されて今はもう見ることができませんから、貴重な記録でもあります。
大塚
資料的価値だってあるんですよ。

父との思い出

―――
小笠原さんは大塚先生のスケッチに一緒に行かれたことは?
小笠原
それが…ないんですよ。父と旅行に行ったこともほとんどありませんから、今となってはもっと行けばよかったなと思っています。よく覚えているのは…私が小学1年生くらいの時に父と2人で登呂遺跡 ※2 に行ったことですね。茨城の虎塚古墳 ※3 は、母と妹と3人で見にいきました。地元の人たちに公開して、すごい人でした。私が高校3年の時です。この虎塚古墳で父に進路について相談したことを覚えています。
大塚
虎塚の発掘現場はすごい熱気だった。
小笠原
考古学の一番華やかな時期と、父の考古学者として一線で活動していた時期が重なっていたという幸運をしみじみと感じます。
大塚
昭和22年から始まった登呂遺跡の発掘にも僕は参加させてもらいました。あそこから戦後考古学のすべてはスタートしたと言えるんじゃないかと思います。今、当時を知る人はもうほとんどいなくなりました。
小笠原
戦後の考古学の歩みと一緒に歩んできた。一番いいときに、一番いい場所にいたのではないかな、と。このスケッチというのは、父の頭の中の記憶なんだなあと思いながら…父と一緒に旅をした気持ちで画集に掲載する作品を選びました。
―――
大塚先生の教え子さんたちもたくさん協力してくださいました。
小笠原
皆さん、楽しかったとおっしゃってくれています。遺跡の話になると、父は急に考古学者の顔になるんです。この画集を作りはじめてから体調もよくなって…少し落ち着いたら虎塚古墳と、父が初めて遺跡発掘に参加したという能満寺古墳※4に連れていけたらなと思っています。
大塚
暖かくなったらぜひ行きたいね。
―――
このたびは本当にお疲れさまでした。


大塚初重スケッチ画集

完成したスケッチ画集は、考古学者・大塚初重先生から後進への「よく観察してほしい」という強いメッセージでもあるようです。お話をうかがったのは大塚先生の膨大な蔵書の一部(約3万冊!)が、中国の北京大学に寄贈される船便が出発する、その直前-2020年12月初旬のこと。大塚先生、小笠原さん、ありがとうございました。

※1 桜井茶臼山古墳 奈良県桜井市にある4世紀初頭の前方後円墳。1949年に発掘調査、2009年に埋葬石室の調査が行われた。写真は石室内部の大塚先生のスケッチ。
※2 登呂遺跡 静岡県静岡市にある弥生時代の集落遺跡。戦中の1943年に軍需工業を建設する際に発見され、1947年に戦後に発掘調査された。「戦後の日本考古学の出発点」と言われる場所。
※3 虎塚遺跡 茨城県ひたちなか市にある7世紀前半の前方後円墳。1973年に大塚先生が中心となって発掘調査、竪穴住居からは装飾壁画が発見された。
※4 能満寺古墳 千葉県長生郡長南町芝原にある4世紀後半の前方後円墳。1947年に明治大学が中心となって発掘、大塚先生初めての現場だった。


▲ページ先頭へ